2024年7月、不同意性向の罪で懲役6年6ヶ月が言い渡された八並孝徳被告(20)。八並孝徳被告は2023年11月29日、小学生の女の子(当時12歳)に性的暴行を行い逮捕、起訴されました。この事件の内容は信じられないほどひどい内容で、女の子は一生傷を折って生きることになると世間ではその残虐性や八並孝徳被告の生い立ちに注目が集まっています。
今回は八並孝徳被告の高校や実家、その他犯行に至るまでの彼の情報についてまとめていきます。
八並孝徳のプロフィール
八並孝徳被告の基本情報は以下です。
名前:八並孝徳 (やつなみ たかのり)
生年月日:不明
年齢:20歳 (2024年7月時点)
住所:福岡県宗像市 (土穴か自由が丘近辺)
高校:福岡県立遠賀高校 農業食品科(の可能性が高い)
Facebook:こちら
Instagram:こちら
あまり情報が出ていませんが、出ている情報はこれくらいです。
高校については、彼が所属していたボランティア団体の方が取材で「近くの農業高校に通っていた」と話しています。八並孝徳被告が住んでいた宗像市には農業科のある高校はなく、通える範囲だと福岡県立遠賀高校 農業食品科があるので、ここが可能性が高いです。また福岡県立遠賀高校出身の方とFacebookで繋がっていることからも可能性が高いと言えるでしょう。
また、SNSに彼がポストしていた内容から推測すると、野球好きであることが分かります。(野球部だったかは不明)
インスタグラムではいろんなジャンルのアカウントをフォローしていて、福岡のグルメ情報やボランティア情報、消防関係の情報、歌手やインフルエンサー、恋愛の悩みに関する情報など幅広いことに興味があることがわかります。リアルな友達らしい人のフォローは比較的少なそうだったので、交友関係は狭そうだなという印象を受けました。
実家の場所や家庭環境
八並孝徳被告の実家は福岡県宗像市にあり、土穴か自由が丘近辺だと言うことがわかっています。詳しい場所は分かりませんが、自然も多く、住宅地です。20歳という若さからも、八並孝徳被告は実家に住んでいた可能性が高いです。
また、家庭環境や両親の情報についても公に出ている情報はありませんでした。
八並孝徳の高校時代の活動
ボランティア活動への参加
八並孝徳は高校時代、地域社会への貢献を積極的に行っていました。地元のボランティア団体に所属し、多岐にわたる活動に参加していました。
具体的には、「子ども食堂」や「九州国立博物館ボランティア」、「パトラン(ランニングしながらまちを見守る活動)」に継続的に参加していたことが報告されています。また、子どもに関わるボランティアにも多く関わっていたことから、この頃から子どもに興味があったのかもしれません。
しかしコミュニケーションが上手なタイプではなく、人に話しかけに行ったりするタイプではないようで物静かな性格だったようです。小さい子供の前でもオドオドしているようないわゆる「コミュ障」タイプだったとボランティア団体の方がインタビューに答えています。
「ボラセンだより」への寄稿
八並孝徳はその活動の一環として、宗像市社会福祉協議会が発行する「ボラセンだより」にも寄稿していました。令和元年 vol.2 には、八並孝徳の名前が掲載されています。この号では、八並孝徳が個人ボランティアとして紹介され、彼のまちづくりや福祉ボランティアとしての活動が詳しく記されています。
>>> 実際のボラセン令和元年 vol.2はこちらから読めます
農業高校に通った八並孝徳被告
八並孝徳は地元の農業高校に通い、作物を扱うことに関する学習をしていました。
八並孝徳が農業高校を選んだ理由は、自然や農作業に対する興味からであり、将来は農業関連の仕事に就くことを考えていた可能性がありますが、卒業後は消防士として就職したので何か転機があったのかもしれません。
しかし八並孝徳が通っていた福岡県立遠賀高校農業食品科は、他の同じ地区にある高校の中でも比較的偏差値が低めなので、学力的な問題があり高校を選んだ可能性もあります。(これは憶測に過ぎませんが)
八並孝徳が消防士を辞めた理由
退職に至った背景とその影響
八並孝徳が消防士を辞めた具体的な理由は、公式には報道されていません。しかし、彼が犯行時に20歳で既に消防士を辞めていたことから、退職が彼の人生に重大な影響を及ぼしたことが示唆されています。
20歳で消防士をやめていたと言うことは消防士として2年も勤めていないということになります。消防士の訓練はハードですので、就職してすぐに辞めてしまい引きこもっていた可能性もあるでしょう。
検察側の供述調書によると、八並孝徳は仕事を辞めて自暴自棄になり、誰かを傷つけたいという衝動に駆られるようになったと述べています。仕事を失うことで生じた無力感や絶望感が、彼の精神状態に悪影響を与えた可能性があります。
宗像市消防団での活動
八並孝徳は宗像市消防団第3分団に所属していました。ですが短期間での退職が示すように、何らかの個人的な問題や職場での困難があったと考えられます。
仕事を辞めた後の精神状態
仕事を辞めた後の八並孝徳は、自暴自棄になりやすい精神状態に陥っていましたと言います。彼は「誰かを傷つけたい」という危険な衝動に駆られ、それが重大な犯罪行為へと繋がってしまいました。
消防士という職業は、その責任の重さから精神的な負担も大きいものであり、退職後にその負担から解放される一方で、自己の存在意義を見失ってしまった可能性があります。
八並孝徳の性格と行動
彼の供述やボランティア関係者へのインタビューの内容を経て、彼の性格の特徴を3つまとめました。
①自暴自棄になりやすい傾向
八並孝徳は仕事を辞めた後、自暴自棄になる傾向が見られました。検察側の供述調書によると、彼は仕事を辞めて以降、誰かを傷つけたいという衝動に駆られるようになったと述べています。
これは、仕事を失ったことで生じた無力感や絶望感が、彼の心理状態に大きく影響を与えたことを示しています。このような精神状態は、彼の行動に直接影響を及ぼし、結果として重大な犯罪に繋がったと考えられます。
②残虐性と衝動的な行動
八並孝徳の行動には、残虐性と衝動的な側面が見られます。犯行に及んだ際、彼は被害者に対して「一生キズが残りやすいように性行為をした」と述べており、意図的に長期的な被害を与えようとする冷酷な一面が浮かび上がります。
また、犯罪を実行した背景には、突然の衝動に駆られたことが示唆されています。彼の行動は計画的というよりは、その場の感情に突き動かされた結果であることが伺えます。
③高校時代のボランティア精神とのギャップ
一方で、八並孝徳は高校時代に積極的にボランティア活動に参加していたという事実があります。彼は福岡のボランティア団体に所属し、「子ども食堂」や「九州国立博物館ボランティア」、「パトラン」など、多岐にわたる活動に関与していました。
この時期の彼は、社会貢献や地域活動に強い関心を持ち、他者を助けることに喜びを見出していたと考えられます。このように、八並孝徳の性格と行動には複雑で矛盾した側面が存在します。
高校時代には社会貢献に積極的であったにもかかわらず、仕事を辞めた後には自暴自棄となり、残虐な犯罪に至った背景には、何らかの心理的な変化や問題があったと推測されます。
まとめ
今回の八並孝徳被告の犯行は決して許されるものではなく、世間からももっと重罪にすべきだという声が多く上がっています。
近年ではこのような衝動的で残虐な犯罪が増えているように思います。このような重い犯罪が少しでも減るように切に願っています。