朝ドラ『ブギウギ』で一躍有名になった女優の趣里さん。
現在、be:firstリョウキさんとのデキ婚の噂でも大注目が集まっていますね。
芸能界屈指のサラブレッドとして注目を集めていますが、実はその学歴や経歴が“超お嬢さま”すぎる!ということも話題なんです。
しかも、ただのお嬢さまではなく、努力と逆境を乗り越えて今の地位をつかんだ“芯の強い女優”だったことが判明しました。
この記事では、彼女の学歴・経歴・英語力・留学経験を一挙に解説いたします。
趣里さんのプロフィール紹介!華やかな芸能一家に生まれて

本名・年齢・身長など基本情報をチェック
本名は水谷趣里(みずたに・しゅり)さん。
1990年9月21日生まれで、2025年現在は34歳。

え!もっと若いと思ってた!
ザ・おしゃれ顔で、独特の存在感があるよね〜
身長は158cm、血液型はO型。
現在の所属は大手のトップコートです。
昔から女優になりたかったわけではなく、さまざまな経験を経て紆余曲折し、現在は女優として活動されています。
演技力がとても高く評価されており、映画・ドラマ・舞台と幅広く活躍中の実力派女優です。
趣里の両親がすごい!!父は水谷豊、母は伊藤蘭!まさに芸能界のサラブレッド!


父は国民的俳優・水谷豊さん、母は元キャンディーズの伊藤蘭さん。
まさに「超一流芸能一家」に生まれた芸能界のエリートと言える存在です。
とはいえ、決して親の七光りで成功したわけではないようです。
親の名前を伏せてオーディションを受けるほど、「自力で勝負したい」という強い信念を持っていました。
「二世タレント」と呼ばれたくない…独自の努力と覚悟
父・水谷豊さんは、当初は芸能界入りに反対していたとのこと。
それでも趣里さんは夢を貫き、塩屋俊さん主宰の「アクターズクリニック」で本格的に演技を学びました。
二世タレントではなく、“ひとりの女優”として認められたい。
そんな想いがにじみ出る、ひたむきな努力をする人のようです。
女優デビューは20歳と決して遅くないですが、実は女優になる前にはある夢があり、それに向けて頑張ってきた趣里さん。
大きな挫折を経て、女優の道へ進むことを決めたそうです。
それでは、趣里さんの学歴や経歴を見てみましょう。
趣里さんの学歴がすごい!超お嬢様学校から海外留学まで
中学は「桐朋女子中学校」!由緒あるお嬢様学校だった


趣里さんの出身中学は、東京都の私立「桐朋女子中学校」。
1941年創立の由緒ある伝統校で、いわゆる“お嬢様学校”として名高い存在です。



さすが!芸能一家の子だから納得だね!
上品な校風と豊かな芸術教育が特徴で、文化的な家庭の子女が多く通う名門校。
また、入学の難易度も高いとされています。
まさに、“生粋のお嬢様”コースのスタート地点ともいえる学歴ですね!
15歳でイギリス留学!バレエ名門校に単身挑戦


趣里さん4歳でクラシックバレエをはじめ、6歳で初舞台に立ちました。
東京・世田谷区の名門「井上バレエ団」に所属し、本格的にバレエに打ち込んでいました。
小学2年生で「くるみ割り人形」のピンクネズミ役、小学5年生では同作品の主役クララ役を演じるなど、早くからバレエの才能を発揮しており、バレエ界では名の知れた存在だったそう。
そして中学卒業後、なんと15歳で単身イギリスに留学!
入学したのは、プロのバレエダンサーを多数輩出している名門「Arts Educational Schools」。
この学校は、オーディションに合格しないと入学できない学校なので、この時点でバレエの技術はとても高かったことが伺えますね。
言葉も通じない異国の地で寮生活、午前は学科、午後はバレエのレッスンという厳しいスケジュールをこなしていたそうです。
「世界的バレリーナになりたい」――そんな夢に向かってまっすぐに努力していたのです。
大怪我で夢を断念…それでも前を向いた再スタート
ところが、ある日突然、その夢は崩れてしまいます。
アキレス腱の断裂と足首の剥離骨折してしまったのです。
医師からは「もう前のようには踊れない」と宣告され、バレリーナとしての未来は閉ざされてしまいました。
それまで幼い頃から全力でバレエに向き合ってきた趣里さんですから、その時は本当に絶望してしまったことでしょう。



それまで頑張ってきた分、夢が閉ざされた時は本当に辛かっただろうね
やむなく帰国を決意した彼女が選んだのは、“新しい自分を探す”という道だったそう。
しかしきっぱりと諦めきれず、帰国後も治療とリハビリを続けながらバレエに取り組みましたが、プロへの夢は叶いませんでした。
帰国後は高卒認定→明治学院大学へ進学(のち中退)
イギリスから帰国した時、日本の高校には通っていなかったため、趣里さんの日本での学歴は中卒でした。
なのでまずは高卒認定試験(旧・大検)に合格。
その後2009年、明治学院大学文学部芸術学科に一般入試で合格・進学し、演劇や身体表現を学びました。



バレエじゃなくてもやっぱり舞台に立ちたいって
気持ちが強かったんだね!
大学入学後は女優を志し、塩屋俊主宰の「アクターズクリニック」で演技の勉強を始めたそう。


・塩屋俊(しおや とし)さんは俳優、映画監督、俳優養成所主宰として有名な人物
・代表作は『釣りバカ日誌』シリーズ、『ミスター・ベースボール』、『四十七人の刺客』など。
・1994年に「アクターズクリニック」を始める。
・2013年、仙台市での公演中に急性大動脈解離で急逝。
・教え子や関係者から深く慕われていたそう。
「アクターズクリニック」は国内外で活躍できる俳優の育成を目指すということを謳っており、非常にレベルの高いレッスンを受けられることで有名でした。
相武紗季さん、桐谷健太さん、向井理さんなどもここで勉強した後に俳優として活躍したことで知られています。
そこでは「ステラ・アドラー・テクニック」と呼ばれる海外でよく使われる演技のトレーニングを使ったり、原書の英語で台本を読み解いたり、海外の講師と英語でコミュニケーションを取っていたというエピソードも見つかりました。
2年ちょっとのイギリス留学で培った英語力がその後の生活にも役に立ったようです。
その後努力が実り、2011年、TBSドラマ『3年B組金八先生ファイナル』で女優デビューを果たしました。


『3年B組金八先生ファイナル』でデビューするとすぐにその才能は評価され、すぐに映画『おとぎ話みたい』での主演が決まりました。
女優と手の才能が認められ、急激に仕事が増えたことで大学との両立が難しくなった趣里さんは大学4年で中退することになりますが、演技への熱意が次第に形を成し、女優としての人生が本格的にスタートしたのです。
趣里さんの英語力は?「ペラペラ」と言われる理由に納得!


英語が話せない状態でイギリス留学した15歳の決断
英語力ゼロでイギリスへ飛び立った15歳の趣里さん。
言葉も文化も違う中、寮生活とバレエレッスンの両立に必死で食らいついていったそうです。



負けず嫌いなんだろうね!かっこいい!
その結果、日常会話はもちろん、演技指導も英語で受けられるレベルにまで成長しました。
帰国後の趣里さんは、英語力を活かして航空業界を目指すことも考えたそうです。
ですが帰国後も、やはり舞台に立ちたいという夢を捨てきれず、趣里さんは英語力を武器に演技の幅を広げていきました。
「英語堪能」と紹介される実力派!英語で台本を読みこなすことも
最近では、テレビや舞台で「英語堪能」と紹介されることも多い趣里さん。
ネイティブレベルとまでは言えませんが、役作りや表現力において「使える英語力」があることは間違いありません。
しかし残念なことに、英語を話している動画などは見つかりませんでした。
今後、海外作品への出演も大いに期待される女優のひとりだと言えるでしょう。
まとめ
芸能一家に生まれながら、自分の力で未来を切り開いてきた強い女性、趣里さん。
中学は桐朋女子中学校、そして15歳でバレエ留学、さらには高卒認定からの大学進学と、まさに努力と挑戦の“お嬢さまコース”を歩んできました。
英語力や演技力も本物で、今後さらに飛躍すること間違いなしですね!
趣里さんの今後の活躍にも注目したいです!