アメリカで活躍する元警察官、永田ゆりさん。
彼女のプロフィールやその波乱万丈な人生、今後警察官を退職する理由やその後、そして家族構成について詳しく解説します。
アメリカ警察官永田ゆりとは?プロフィールと経歴
永田ゆりさんの基本プロフィール
本名:永田有理(ながた ゆり)
生年月日:1980年(東京都世田谷区出身)
職業:元ロサンゼルス市警察官、NPO団体「LOVE SPECTRUM」設立者
家族構成:夫(雄飛さん)と3人の子供
SNS活動:防犯情報を発信(Instagramフォロワー約4.8万人、YouTube登録者約20万人)
インスタグラム:こちら(メインのアカウントが消えてしまったらしく、こちらは元サブアカ)
YOUTUBE「警察官ゆりのアメリカ生活」: https://www.youtube.com/@1114lajpn
LOVE SPECTRUM:lovespectrum.org
LIfe Academy:yurilifeacademy.com
永田ゆりさんは、ロサンゼルスで日本人女性として市警察官に就任し、日本人コミュニティや移民を支える活動をしてきた人物です。
警察官としての職務にとどまらず、人身売買撲滅のためにNPOを設立し、社会貢献活動にも注力。
現在は新たな夢に向けて挑戦を続けています。
幼少期からの生い立ち
永田ゆりさんは東京都世田谷区で、父親(会社員)、母親(専業主婦)、3歳年上の姉とともに育ちました。
世田谷区出身ってことは、金銭的に結構余裕がある家庭だったのかもね
中学生の頃、アトピー性皮膚炎が原因でいじめを受け、自己肯定感を失う苦しい日々を経験。
部活動のブラスバンドで音楽に打ち込み、心の支えを見つけました。
中学生ごろまではおとなしかったそう。
今の姿からは想像がつきませんね。
高校ではアトピーも治り、いじめも解消され、楽しい生活を送っていました。
髪を染めて当時流行りのギャル風の生活を楽しむ一方で、将来への意識はまだ薄かったようです。
そんな永田ゆりさんを見て呆れた両親の「アメリカに留学しなさい」という一言が、彼女の人生を大きく変えるきっかけとなります。
元々海外に憧れはあったものの留学なんて全く考えていなかった永田ゆりさんでしたが、「え?周りが大学受験の勉強で忙しい中私はしなくていいの?しかもアメリカ行けるの?ラッキー!」と思ったそう。
アメリカ行ってきなさい!なんて言って単身で送り込めるってことは
やっぱりおうちはお金持ちだったんだろうね!
警察官を目指すまでの経緯
ダンサーの夢から警察官への転身
アメリカでのダンス専攻と挫折
高校卒業後、18歳で単身アメリカに渡った永田ゆりさんは、語学学校で英語を学びながら、カリフォルニア州の大学でダンスを専攻しました。
ちなみに小さい頃からダンスが好きだったそうです。
当初はブロードウェイで活躍するダンサーを目指していましたが、厳しい競争や現実に直面し、夢を諦めざるを得なくなります。
この挫折は彼女にとって大きな試練でしたが、新たな挑戦への原動力ともなりました。
子育てと離婚を経て新たなキャリアを模索
23歳で結婚し、24歳で長男、27歳で長女を出産。
専業主婦として家庭を支える一方、母親としての責任を果たす日々を送っていました。
しかし30歳で離婚し、シングルマザーとしての生活が始まります。
子供たちを守り、安定した生活を築くため、永田ゆりさんは「使命感を持てる仕事」として警察官を目指す決意をしました。
子どもができた後に危険な場面にも直面する警察官になろうとするって
いうのはちょっと変わってるよね!でもかっこいい!
警察官になるための努力と苦労
警察官になるために日本国籍を放棄!
ロサンゼルス市警の警察官になるためには、アメリカ市民権が必要でした。
永田ゆりさんは日本国籍を放棄し、市民権を取得するという大きな決断をしました。
LAPDアカデミーでの厳しい訓練を経て警察官へ!
34歳という最年長の年齢でLAPD(ロサンゼルス市警)アカデミーに入学。
6か月にわたる過酷な訓練を乗り越え、2015年に卒業しました。
ちなみにこのアカデミーというのは、入学した半分の人数も卒業できないほど過酷なんだそうです。
体力面・精神面ともに若い候補生と肩を並べて訓練に挑む中、永田ゆりさんの強い意志が周囲の支えとなりました。
警察官を退職する理由と今後の夢
大怪我をきっかけに警察官を引退!
怪我による決断
2023年、勤務中に薬物中毒者を逮捕する際、突き飛ばされて腰を強打する怪我を負いました。一度は手術を受けて復帰を目指しましたが、警察官の重い装備を装着する仕事を続けることが難しいと医師から診断されました。
再手術が必要と言われる中、家族や医師の勧めもあり、永田ゆりさんは泣く泣く警察官を引退する決意をしました。
キャリアを取るか健康を取るかって言われたら
そりゃ健康を選ぶよね。お子さんもいらっしゃるし
引退時の心境と家族の支え
「天職だと思っていた警察官を辞める決断をするのはとても辛かった」と語る永田ゆりさん。
生まれ変わっても警察官になりたい、とYoutubeでも語ってらっしゃいました。
家族とも何度も話し合い、泣きながら決断したそうです。
夫の雄飛さんや子供たちの支えが、彼女に新たな挑戦への勇気を与えたそうです。
弁護士への転身を目指す新たな目標
警察官を辞めて弁護士を目指す理由
永田ゆりさんが弁護士を目指す理由は、警察官としての経験を活かし、法律の力で弱者を守りたいという思いにあります。
特に、犯罪被害者やシングルマザー、移民など社会的立場の弱い人々を支援したいと考えています。
また、最近のアメリカは完全におかしいと話す永田ゆりさんは、市民ももっと法律や憲法を知るべきだと考えています。
憲法は国民が国を訴えることができる唯一の方法だと永田ゆりさんは考えており、市民の強い味方になってくれそうですよね。
子育てと勉強の両立
現在、3人の子供を育てている永田ゆりさん。
子育てを楽しみながら弁護士資格取得を目指す勉強をする予定だそうです。
「母親としての背中を子供たちに見せたい」という強い思いが、彼女の努力の原動力です。
「元警察官の弁護士」として描く未来
「元警察官の弁護士」という経歴は非常にユニークで、法律の知識だけでなく、現場での経験も活かせると永田ゆりさんは考えています。
社会に貢献するために、法律の専門家として新たなステージを目指しています。
アメリカ警察官永田ゆりの家族構成は?
再婚後の生活
2024年1月、永田さんは宮城県出身の「雄飛さん」と再婚しました。
夫婦で支え合いながら3人の子供を育て、幸せな家庭を築いています。
現在の家族構成は、永田ゆりさん、夫の雄飛さん、18歳の長男、15歳の長女、去年生まれた赤ちゃんの5人家族です。
お子さんについての情報は年齢以外明かされていません。
3人目の子供の誕生
同年5月には3人目の子供を出産。この3人目のお子さんは、雄飛さんとの子でしょう。
3人目のお子さんの性別はわかっていません。
「アラフォー高齢出産」と表現し、育児を楽しむ姿が印象的です。
まとめ
永田ゆりさんは、数々の試練を乗り越えながら新たな夢に向かう挑戦の連続の人生を送っています。
警察官として社会に貢献し、今度は弁護士として新たな形で人々を支えたいという思いを胸に日々努力を続けています。
彼女のこれからの活躍にますます注目が集まることでしょう。